2022年3月24日木曜日

『カガク力を強くする!』

元村有希

「科学・技術の成果の光ばかりに気を取られ、影の部分を見ようとしない人々を「文明社会の野蛮人」と名付けた人がいます。オルテガ・イ・ガセットは、『大衆の反逆』で「大衆ほど無責任で気まぐれでわがままな存在はいない」といいます。・・・ 文明社会に生きているというだけで文明人だと錯覚しているけれど、その文明に頼りきるうちに、人間が本来、身につけておくべき直感力や判断力、理性、忍耐力、羞恥心などが忘れ去られてしまっているのではないか。オルテガは、80年以上前に書いたこの本で警告を発したのです。」(p.22~p.25)

 この指摘は、単に最新機器に頼りすぎるなとか、カガクの仕組みに目を向けろとか、ものづくりの技術を身につけよとか言っているのではない。「無責任できまぐれでわがまま」であること、不平や不満をいうばかりで都合の悪いことには沈黙する態度に警告を発しているのだ。ガソリンが高い、電気代が高いなどと文句ばかりいっているから、原発の再稼働を許してしまう。併せて、核兵器の開発や温暖化を加速する社会システムなど、科学者や政治家による文明破壊の動きを見過ごさないで、これに抵抗する力を持たねばならないということだ。秋岡芳夫さんは『新和風のすすめ』でこんなことを書いている。「いまの日本には類猿人(るいえんじん)が増えている。類人猿(るいじんえん)も類猿人もバナナは好きなようだが、類猿人は買って食べ、類人猿は木に登って食べる。両方ともに自分で種をまいたり肥料をやったりしてバナナを作ろうという意識はまったくない、というところで共通している」と。科学・技術というレベル以前に、農作物も、道具ひとつもつくれない、つくろうとしない姿を自覚しなければならない。

(忙しくなってきたので、投稿はしばらくお休みに)

2022年3月23日水曜日

『逆襲される文明』

塩野七生

「想定しなかった事態に直面したときに、日本人はまだまだ弱い。事態の対処だけでなく、想定していなかった質問をされた場合の答え方、等々。それを眼にするたびに私は思う。日本人て何とまじめなのだろう。だが同時に心配になる。世界では、それも権力者ともなると、人が悪いほうが当たり前なのだから。戦術には、忍者の戦法もあるんですよ。それがユーモアでありアイロニーである。ユーモアで相手との間に距離を保ち、アイロニーで突くという戦法だ。」(p.80)

 アメリカ滞在中にたくさんのイベントに参加した。そこで行われるスピーチには、必ず観客を笑わせるジョークが入る。内容を聞かせるためには、まず心を掴まないといけないのだ。(寝ている生徒を怒る先生は、自分の話が退屈であることを認識しないといけない。)「ユーモア」と「アイロニー」と聞いて、千葉雅也さんの『勉強の哲学』を思い出した。アイロニーとは「ツッコミ」で、周りの当たり前に否定を向けること、ユーモアとは「ボケ」で、見方をズラして考えること。これらは、環境から自由になる思考スキルであると、千葉さんはいう。塩野さんが心配しているのは、「まじめ」にみえているのは、この環境(周囲の目)に縛られているのだよ、ということだろう。「人が悪い」という相手に飲まれることなく、すっと身をかわしたり、駆け引きを楽しんだり、いま風の「忍者戦法」を磨かねばならない。ボケとツッコミの得意な関西人ならなおさらに。

2022年3月22日火曜日

『世界を変えるSTEAM人材』

ヤング吉原麻里子・木島里江

「多様な領域で活躍するSTEAM人材たちですが、そこには共通するマインドセットを見いだせます。型にはまらない自由な発想(think out of the box)、スピード感をもって発想を行動に変えていく「ひとまずやってみる」(give it a try)精神、そして「失敗して前進する」(fail forward)という考え方が、STEAM人材を端的に捉えています。」(p.56)

 ある高校で、「総合的探究の時間」を「Thinking Design」と名付けて、一年間、ちょっと変わった「数学」の授業をした。「初めて見る問題でも自分で考えようとする力」「間違いを恐れないで他者と意見を語り合える力」をつけることを授業の目標とした。答えを言わない科学TV番組「考えるカラス」(NHK)に触発されて、勘違いしそうな、迷いそうな問題を、議論や実験を進めながら解決していった。まさに、「give it a try!」「fail forward!」の精神であったと共感する。教材づくりや授業の振り返りは、自転車操業の大忙しだったが、高校生の満足度は高かったのでほっとした。STEAM教育や主体的・対話的で深い学びには、こちらの仕掛けや熱意に答えてくれる「よい生徒たち」の驚きや笑顔が極めて重要。

2022年3月21日月曜日

『科学という考え方』

酒井邦嘉

「ケプラーとブラーエの出会いは、歴史的に見れば理論と実験を結びつける理想的なものであったが、二人の天才の関係は、ゴッホとゴーギャンと似て緊張状態が続いたという。ケプラーは次のように述べている。「ブラーエは最良の観測結果をもっており、いわば新しい建物を建てる資材を持っているわけです。ただ一つ、彼に不足しているのは、独自の設計図を持ち、このすべてを使いこなす建築家です。」」(p.83)

 設計図とは、科学的な着想・考え方のことで、建築家とは、これを論理的に組み立てる人のことだろう。緻密な分析や最先端の技術は、ビッグピクチャー(広い視野、将来展望)をもったデザイナーの発想や制作によって生きる。ブラーエは天動説にこだわっていたし、ケプラーはブラーエのデータがなければ仮説を実証することができなかった。資材を蓄え、資質を磨き、世界を見据え、未来をつくる。『すごい実験』の多田将さんは次のように言っていた。「科学の世界は、東急ハンズみたいのものです。その研究が何の役に立つかは置いておいて、ハンズの棚に並べるんです。そしたら、次の世代の学者が棚を見て、自分の役に立つものをピックアップしていきます。そうして作り上げたもの、それがたとえば、この携帯電話なんです。」科学の歴史では、すぐに役立ちそうにないものがよく役に立つ。「goodpenguin」での教材づくりと100均の棚の関係もこれに近いかも。

2022年3月19日土曜日

『リベラルアーツの学び』

芳沢光雄

「見直しで大切なことの一つに「疑う気持ちを強くもって文章を読む」ことがあると考えます。2006年の秋に「今の景気の拡大期間はいざなぎ景気を超えた」というニュースがありました。そのとき「いざなぎ景気」の年平均成長率が11.5%という報道と14.3%という報道の2つがあったのです。不思議に思って考えたところ、前者は相乗平均の発想で正しいものであり、後者は相加平均の発想で誤ったものであることが分かりました。」(p.126)

 という記述を読んだので、計算してみた。いざなぎ景気は、4年9ヶ月で67.8%の成長だったという。67.8を4.75年で単純に割ると、約14.3(%/年)になる、これが誤りの方の値。実際には、年平均成長率を x %として、(1+x/100)^4.75=1.678 となる x を求めればよいので、これを解くと、x≒11.51(%/年)となって、正しい値になった。四半期(3ヶ月)ごとに報告される成長率に合わせれば、(1+x/100)^19=1.678 として、x≒2.76(%/3ヶ月) なので、四半期毎に2.76%の成長が19期続いたことになる。もしこれがあと1年9ヶ月続いていたら、2倍(100%)の成長率になっていたことになる。(所得倍増を公約にしていた岸田首相に教えてあげたい。)「疑う気持ち」と併せて「やってみよう」という心がけも大切かと。

2022年3月18日金曜日

『学問の発見』

広中平祐

「トーマス・エジソンの研究所には貼り紙があって、「人間には悪い性格がある。考えないで済む方法がないかと一生懸命に考える」と書いてあった。研究の途中でわからないことがあったり必要なことがあると、解決方法がどこかの書物に書いてあるのではないかと次から次へと本を探し、一日時間をつぶしてしまうことがある。そのような研究態度を戒める言葉だった。まずは自分で考えるのだ。」(p.3~p.4)

 研究活動であれば先行研究や論文を下地にすることは大事なことでもある。しかし、もっと基本的な次元で、人の考えをインプットしすぎて、人の思考と自分の思考の区別がつかなくなる事態に陥る危険性を示唆しているように思う。事件や情勢やときにはゴシップでさえ、誰かが言った評価・評論を真に受けて、あたかも自分の意見であるかのようにアウトプットするさまは見苦しい。薄っぺらい、根っこのない意見でなく、多数派と異なるものであっても、あるいは同じであっても、「まずは自分で考え」たといえるものをもっておきたい。ショーペンハウエルは「読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」といっている。読書もまた、自分の中に取り込むだけ、聞き従うだけという態度を改めないと、発酵過程の乏しいお酒のように、文字通り、自らを「醸成」していくことはできない。

2022年3月17日木曜日

『コロナと生きる』

内田樹・岩田健太郎

「熊本地震では、避難所は人が多くて密集していました。「この状態を放置していたら、感染症が蔓延して危ないです。半分ぐらいの人をホテルに移動させましょう」と提言したんですが、県庁の人は「そんなのできるわけないですよ」と怒るんです。自分以外の誰かが得するなら、みんなで損をしたほうがマシだと考えるんですね。嫉妬を鎮めるためにサービスを均質化するということがほとんど自己目的化してきましたね。」(p.105~p.106)

 「なんであの人がホテルでこっちは避難所なのか説明しろ」なんて声が聞こえてきそうだ。危機的状況を脱することより、不公平感情を呼び込まないことを優先する社会なのだ。程度問題もあるけれど、公平な対応なんてありえないと考えた方がいい。そもそも何が「公平」かという判定もほぼ不可能だ。不公平を我慢して指示に従うことができる集団があるとすれば、それは日頃からリーダーとの信頼関係が築けているということだろう。「あの人がそこまでいうのだから仕方ない」「わかった、おれも一肌脱ごう」なんて、「内容」じゃなくて、やっぱり「人」なのだ。不信感が先に立てば、いくら一生懸命説明してもたぶんその言葉は伝わらない。