2022年3月7日月曜日

『何のために「学ぶ」のか』

中学生からの大学講義1 から
「「賢くある」ということ」 鷲田清一

「結局私たちは「市民」ではなく「顧客」になってしまった。私たちは、自分たちの安心と安全のためにプロを育て「委託」するという道を開拓してきた。しかしその制度の中で暮らすうちに、自分が持つ技や能力を磨くことを忘れてしまった。自分で物事を決めて担うことができる市民ではなくなり、ただのサービスの顧客に成り下がったのだ。」(p.190)

 税金を払っているのだから、高い学費を払っているのに、といった台詞にはうんざりする。見返りを当たり前と考え、少しの損も許さないと目を光らせている印象を受ける。そうではなくて、自分も困っている、どうすればいいか一緒に考えてほしいと言えばいい。コミュニティーの中では、自分はたいてい顧客ではなくて、メンバーであるはずなのだ。苦労をともにしたメンバーであれば、親しみや誇りが芽生え、恩返しや恩送りをしたいという気持ちを連れてきてくれるはず。技や能力を磨くこと、敢えて苦労を引き受けることを思い出そう。そして「一生学び」であることを楽しみたいと思う。

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