2022年3月14日月曜日

『歴史の読みかた』

続・中学生からの大学講義2 から
「日本文化の像を描く」 福嶋亮大

「歴史は永遠に未完成だと考えたのがカントです。彼は観察者、つまり「世界をウォッチする人」に重要な意味を認めた。たとえば、フランス革命にはロベスピエールなりサン=ジュストなりの登場人物が出てきますが、カントは、革命を完成させたのは彼ら主役ではなく、ウォッチャーであるまわりの大勢の観客だと言います。観客としての人間たちが、ある事件を目撃し、それについてひたすらコミュニケーションし続ける。それが人類の共同的な歴史なのです。」(p.177~p.178)

 当事者ではなく、「ウォッチャー」が時代を評価し、歴史のできごととしてその意味を決定する。かつて、日本が敗戦し、戦犯として裁かれた人たちは、誰も「私が戦争を始めた」とは言わなかった。「戦争に反対だったがそれを言い出せる雰囲気ではなかった」とみなが語った。戦争は、当事者にも責任がとれないし、勝ったとしても誰も英雄になれない。そして、大きな犠牲は「人類の共同的な歴史」として刻まれる。戦争や紛争の目撃者である私たちは、国を超えて協力し、これをとめなければならない。戦争の背景にある格差や資源や対立事項を含めて、人々の力でこれを止めることができたという「歴史」を記さねばならない。

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