2022年3月17日木曜日

『コロナと生きる』

内田樹・岩田健太郎

「熊本地震では、避難所は人が多くて密集していました。「この状態を放置していたら、感染症が蔓延して危ないです。半分ぐらいの人をホテルに移動させましょう」と提言したんですが、県庁の人は「そんなのできるわけないですよ」と怒るんです。自分以外の誰かが得するなら、みんなで損をしたほうがマシだと考えるんですね。嫉妬を鎮めるためにサービスを均質化するということがほとんど自己目的化してきましたね。」(p.105~p.106)

 「なんであの人がホテルでこっちは避難所なのか説明しろ」なんて声が聞こえてきそうだ。危機的状況を脱することより、不公平感情を呼び込まないことを優先する社会なのだ。程度問題もあるけれど、公平な対応なんてありえないと考えた方がいい。そもそも何が「公平」かという判定もほぼ不可能だ。不公平を我慢して指示に従うことができる集団があるとすれば、それは日頃からリーダーとの信頼関係が築けているということだろう。「あの人がそこまでいうのだから仕方ない」「わかった、おれも一肌脱ごう」なんて、「内容」じゃなくて、やっぱり「人」なのだ。不信感が先に立てば、いくら一生懸命説明してもたぶんその言葉は伝わらない。

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