ほんのもり(2009年度)

 学校の読書だよりへの寄稿 (2009.4~2010.3)



 vol.11 2009年4月号 「永遠の真実は目には見えない」~小川洋子著『博士の愛した数式』~

 「数学」といわれて、どんなイメージをもつだろう。
 解けたら嬉しいが難しい、答が一つしかない、ミスが許されない、…。もしかすると、数学=計算、日常生活とかけ離れたもの、という印象もあるかもしれない。ところが、最近少し事情が違ってきた。
 「マテマティカ」「ピタゴラスイッチ」「たけしのコマ大数学科」などのテレビ番組もあり、また、読み物としての「数学の本」がたくさん出版されている。そしてこれがなかなか面白い。
 小川洋子著『博士の愛した数式』は2004年本屋大賞を受賞したベストセラーなので、読んだ人もいるだろう。数学の話題を通して博士と家政婦とその息子の繋がりが深められていく。「永遠の真実は目には見えない」という博士の言葉に家政婦は支えられて生きていく。数学は日常生活や科学技術に使われるという側面もあるが、実は精神的な営みや哲学の基盤になっているのだ、ということを再発見する。
 さて、最近読んだ本の中から数学の読み物を3つ挙げてみたので、機会があれば読んでみてほしい。
・サイモン・シン著『フェルマーの最終定理』
 ベストサイエンスブック2000で第1位になった本。フェルマーの最終定理に挑戦した数学者たちのロマンがたっぷり味わえる。
・結城浩著『数学ガール』 
 僕とミルカさんとテトラちゃん(とユーリ)が数学のさまざまなテーマを掲げて、解決に向けて試行錯誤をしながら、友情を深めていく青春物語。2巻ある。
・春日真人著『100年の謎はなぜ解けたのか』
 100年間解けなかったポワンカレ予想が天才ペレリマンによって証明されるまでの数学者の苦悩の歴史をNHKが放映し、それが本にまとめられた。
 上野健爾+岡部恒治編『こんな入試になぜできない』には、「数学の歴史は考え方の歴史であり、既成概念から自由になる歴史でもある」という言葉がある。
 何のために数学を学ぶのかと問われれば、「本を読むことと同様に、真実を見抜き、自由な生き方ができるようになるため」と答えよう。
 最後に、数学の問題を一つ。
 ある秘密結社に所属する6人のチームは、極秘文書を金庫に納め、いくつかの鍵(ロック)をかけて管理することにした。
 6人の内1人ではもちろん、どの2人がそろってもこの金庫は開けられないが、6人の内のどの3人が選ばれても必ずこの金庫が開けられるようにしたい。
 このとき、最低いくつの鍵(ロック)が必要で、6人はどのような鍵(キー)の持ち方をすればよいだろうか。
(答は次回の「ほんのもり」で)



 vol.12 2009年5月号 

<前回の問題>
 ある秘密結社に所属する6人のチームは、極秘文書を金庫に納め、いくつかの鍵(ロック)をかけて管理することにした。
 6人の内1人ではもちろん、どの2人がそろってもこの金庫は開けられないが、6人の内のどの3人が選ばれても必ずこの金庫が開けられるようにしたい。
 このとき、最低いくつの鍵(ロック)が必要で、6人はどのような鍵(キー)の持ち方をすればよいだろうか。
<解答>
「6人の内どの2人を選んでも開けられない鍵が最低1つあること」
「そしてその鍵を他の4人は必ずもっていること」
という条件を満たせばよい。
 たとえば、6人を番号1~6で表し、鍵(キー)をA,B,C,…で表したとき、
 Aの鍵について、1番と2番の人は持たないが、3~6番の人はみんな持っている。
 Bの鍵について、1番と3番の人は持たないが、2番と4~6番の人は持っている。
 …
 とすると、どの2人がそろっても開けられない鍵があり、どの3人が選ばれても必ずすべての鍵が開けられることになる。

A B C D E F G H I J K L M N O
1 × × × × ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 
2 × ○ ○ ○ ○ × × × × ○ ○ ○ ○ ○ ○
3 ○ × ○ ○ ○ × ○ ○ ○ × × × ○ ○ ○
4 ○ ○ × ○ ○ ○ × ○ ○ × ○ ○ × × ○
5 ○ ○ ○ × ○ ○ ○ × ○ ○ × ○ × ○ ×
6 ○ ○ ○ ○ × ○ ○ ○ × ○ ○ × ○ × ×

 つまり、6人から2人を選ぶ組合せの数だけ鍵(ロック)があればよい。
 すなわち、6C2  =15より、鍵(ロック)は最低15個必要。
 そして、結果的に、6人とも10本ずつの鍵(キー)をもつことになるが、その持ち方は上記の表の通り。
 (解答の説明が長くなったので、今回のコラムはお休みとします。)



 vol.13 2009年6月号 「レコメンデーション(推薦)とクオンタムリープ(量子飛躍)」

 著名人がお気に入りの一冊を紹介する本があり、また、読書の意味や本の読み方を紹介する本がある。純粋に本を読むことの好きな私も、他の人が本とどう対面しているのか、どんな本に影響されたのか、けっこう興味があり、そんな「本を読むための本」を読むのも大好きだ。
 そういえば、毎年メディア教育部が発行している夏の「読書だより」には、先生方のお薦め本の紹介記事が掲載される。今年も7月に出るそうだが、今から楽しみにしている。
 さて、「本を読むための本」の中で、お気に入りの読書法をいくつか紹介しよう。
 江戸時代末期、私塾「青谿(せいけい)書院」を開いた池田草庵の読書法について。ひとつは「掩巻(えんかん)」。「掩」は閉じるとか隠すという意味で、一旦本を閉じて、読んだ箇所を頭の中で思い巡らし、反復しながら読み進めるというもの。もうひとつは「慎独(しんどく)」。独善や独占を慎み、読んだ内容を他の人に伝えつつ共有化するというもの。お気に入りの本をレコメンデーション(推薦)することの積極性が、その人の読書スタイルを確立させていくということかな。
 また、池田草庵の影響を受けたといわれる吉田松陰は、「書を読むものはその精力のなかばを筆記に費やすべし」と諭した。読んだあとに抄録(抜き書き)することで、その内容が真に自分のものになるのだ、という。
 1940年に発刊された『本を読む本』では、「行間を読む」だけでなく「行間に書く」ことを勧めている。本に書き入れをすることは、読者が著者に対してはらう最高の敬意である、というのだ。
 読書の習慣を身につけ、いろんな読書法に挑む人は、知識や経験や自信を蓄積できる。そして、その蓄積はいつの日か予想しないような飛躍を生むと私は考えている。量子力学の世界では、量子(quantum)がある一定のエネルギーを蓄えると、不連続に飛躍(leap)し、質的に大きく変化することが知られており、これを「クオンタムリープ(量子飛躍)」と呼んでいる。
 若いときの多読と多筆の蓄積は、必ず質的変化をもたらす。そして、挑まないと「飛躍」は手に入らない。あなたの「クオンタムリープ」はいつ起こるだろうか。



 vol.14 2009年7月号 「クリティカルシンキングと自己創造プロジェクト」

 今年度から、中学校では毎朝15分の読書を中心とする活動を行っています。総合的な学習の時間として位置づけ、主体的に「生き方」「学び方」を身につけることを目指しています。取り組みの基本は「読む」「書く」「考える」。最近「クリティカルシンキング(critical thinking)」という言葉をよく耳にしますが、この「読む」「書く」「考える」をうまく統合させるため「クリティカルシンキング」の考え方を活用したいと思っています。
 「クリティカルシンキング」は「批判的思考」と訳されますが、必ずしも相手(人であったり、本であったり、ニュースであったり)を否定するのではなく、肯定することも含めて、客観的に分析する能力や主体的に学ぶ姿勢を培うものとして捉えています。そもそも「critical」とは、ギリシャ語の「クリティコス(Kritikos)」(判別する)を語源とし「見分ける、見抜く」という意味を持っています。
 朝日新聞の日曜版に4月から連載されている「百年読書会」。読者の声を拾いながら、作家の重松清さんが書評をまとめておられます。現在は、4作品目で、夏目漱石の『坊っちゃん』がテーマ。その中で、たとえば、「坊っちゃんはもう少し対人関係を考えてから行動した方がいい」「立場の甘さ、抱えているものの軽さを感じる」などの意見に対して「世間知らずの甘さではなく、正義感のある純粋さを尊いものととらえるべき」などのやりとりがなされています。私はこれを読んで、評論文やニュース記事に限らず、小説であっても、クリティカルに読むことができるんだと気づかされました。
 レベルの高いクリティカルシンキングに到達するためには、広い基礎知識や思考のスタイル、また日常の問題意識が求められます。思考のスタイルとしては、「結論から考える」「全体から考える」「単純に考える」(細谷功著『地頭力のココロ』)などが参考になるかもしれません。すべてを一気に身につけるには無理がありますから、読書活動を続けながら、少しずつ鍛錬を重ねていってください。
 さて、みなさんはまもなく夏休みになりますね。学校の枠にとらわれない広い世界と、長期の自由な時間の中で、「新たな自己の創造プロジェクト」をスタートさせてください。
 では、最後に、なぞかけを一つ。
「夏休み」とかけて、「自転車ツーリング」ととく。
 そのこころは、「つねに前に向かって、自分の力を信じてすすむ若さが大事。たとえ、雨が降っても、風が強く吹いても。」
 8月26日の始業式に、みなさんの日焼けした笑顔がそろうことを楽しみにしています。



 vol.15 2009年9月号 「働くということ」~人は働きながら、その人となってゆく~

 ものごころがついた頃、すでに幼稚園、小学校、というように、集団で学習する環境を当たり前のものとして受け入れていた。勉強をしていれば許され、働くことなど意識してこなかった。だから、大学を卒業したら就職して生計を立てるのだとか、将来の仕事を見通した学部選びが必要だとか言われて、ちょっと焦った。高校2年生のとき、とりあえずは、好きな研究のできる分野に進むため、目の前の大学受験だけに集中しようと考えて、将来のビジョンは棚上げにした。若者には無限の可能性があると、ある意味おだてられ、励まされてきたが、すでにたくさんの不可能性を感じながら中学高校時代を送ってきたようにも思う。
 「働くこと」について、多くの人は何歳頃から意識するのだろうか。家庭環境や就労体験などによって違ってくるだろうが、やはり大学生くらいからだろうか。ある人は、アルバイトやボランティアをやってみると、そこには尊敬に値する先輩がいて、礼儀作法や店を背負う責任やコミュニケーションの大切さを実感すると同時に、生活習慣や心の持ちようまで変わってくる、という。ちなみに、私の場合は、高校卒業後すぐの3月に小学生らを対象としたキャンプを運営、指導するボランティアに参加したことが、大人の責任を意識する最初の経験になった。自分より小さく弱い存在からの視線を受けたこと、これは当時の私には大きなカルチャーショックだった。その後4年間、このボランティアを続けたことが、現在の教員の道に進ませる「クロスロード(分岐点)」だった、としばらくして実感することになる。
 さて、最近「働くこと」に関する書物をよく見かける。これは、単に「就職」や「経営」に関するノウハウではなくて、むしろ「生き方」について示唆に富んだ良質のアドバイスが多いのだ。そのいくつかを紹介しよう。
①『働き方』 稲盛和夫著 三笠書房
 著者は、周知の通り、京セラの名誉会長であり、第二電電(現KDDI)の会長でもある稲盛和夫氏。この本が一貫して主張するのは、「働くことの目的は人間性を高めることにある」ということ。妥協を許さず、限界まで人事を尽くす姿勢に、学ぶことが多くある。
②『続 働く理由』 戸田智弘著 ディスカバー・トゥエンティワン
 副題が「99の至言に学ぶジンセイ論」というように、99人の著名人によるひとことメッセージを紹介しながら、「働く理由」というより、「生きる意味」をたっぷりと教えてくれる。
③『16歳の教科書2』 6人の特別講義プロジェクト&モーニング編集部 講談社
 これも副題があって、「勉強と仕事はどこでつながるのか」というもの。6人の講師のはちゃめちゃな学生時代や下積み時代の様子がとてもリアル。成功の鍵は、そんな中でも決して諦めないこと。いっぱい勇気をもらえる本。
 学生の仕事は「勉強」なので、すでにみなさんは働いているともいえるわけで、この文章のタイトルも「人は勉強しながら、その人となってゆく(人格を形成する)」の方がよかったかも。   



 vol.16 2009年10月号 「読書の秋 ~書を読み、町へ出よう~」

 めっきり涼しくなってきた。日没が早まり、月の光を美しく感じるこの頃。忙中かん閑をつくりだして、少しだけ読書の時間。
 実りの秋というものの、勉強の成果がなかなか現れなくて心細く感じる季節でもある。読書もまた、すぐに人を強くするなどの成果をもたらすわけではなく、何となく焦りを感じたりする。先達(せんだつ)の山は高く、私の成果は低い。山の裾野は広いからこれを築くには時間がかかるのだろう。気が遠くなりそうだが、誰しも一歩ずつしか歩けない。
 西村佳哲著『自分をいかして生きる』の中に、「仕事」について書かれた文章がある。要約してみた。
 海に浮かぶ島。水面下には、見えない山裾がひろがっている。見える部分が仕事の「成果」だとすると、これを支えているのは「技術や知識」。しかし、なにを美しいと思うか、なにを大事にしているかという「考え方や価値観」がその下にあって、はじめて技術も知識もいかされる。また「考え方や価値観」のさらに下には、「あり方や存在」とでもいう階層がある。そして、仕事とはこの山全体なのだと思う。
 福原義春著『だから人は本を読む』には、マーケティングの講義が紹介され、経営のいちばん基礎の部分に、「フィロソフィー(哲学)」、その上に「プリンシプル(思考・行動の原理)」、さらに上に載っているのが「ストラテジー(戦略)」だと語られる。
 やっぱり、三角形のイメージなのだ。三角形が安定した形といわれるのは、広い底辺が高い頂を支えているから。最底辺に位置する「存在」「価値観」「哲学」は、本を読むことや、自分と向き合うことで培われるもの。深みのある人生をつくるには読書が最も効果的であろうというのは、これまでから語ってきた私の感想。
「書を読む」ことは、頭と心を鍛えて、人間としての厚み(山裾)をつくること。
「町へ出る」ことは、自分の力を試し、新たな目標(山頂)を見つけ目指すこと。
 書を捨てることなく町へ出よう。いや、町へ出るためには、書を読んで力を蓄えねばならぬ。「書を読み、町へ出よう」。高いところにのぼると、そこにはまた新しい景色がひろがっている。慌てないで、ゆっくりとじっくりと歩むのがいい。
 そうそう、みなさんはもうご存じかな。2010年は「国民読書年」なのだそうだ。そして、いつの間にか2009年もあと二ヶ月半を残すだけになってしまった。



 vol.17 2009年11月号 「学校というところ、先生という職業」

 11月は、次年度の選択登録や将来の進路決定が迫られる月だ。不安や迷いが渦巻いて、これまで自分自身とちゃんと向き合ってこなかったことを後悔する人もいるかもしれない。だけど、進学、就職、結婚というような分岐点に立って、迷いなく決断できる人など、おそらく誰もいない。そう、学校の先生だって、いっぱいいっぱい迷ったり、落ち込んだり、やり直しを繰り返しているのだ。
 最近、学校教育法が改正されて「学校評価」が義務づけられた。つまり、先生も評価される側に立っている。生徒の立場でいえば、テストの点数や試合の勝ち負けだけで、人を評価するなんておかしいと考える。目に見えない人間性(誠実さや優しさ、自主性や責任感、…)を見てよ、という声も聞こえてくる。たしかにそうだ。信頼してじっと待ち続けてくれる友だちや先生は、たぶん何の評価も得られないんだろうけれど、私は何よりそんな気持ちをあったかく感じるし、そんな人を尊敬する。
 だけどね。待つというのはとても難しい。そして、待つことを評価するのはもっと難しいことなんだ。鷲田清一先生(大阪大学総長)はこんな風にいっている。「聴くことのコアにあるのは、待つという受け身の姿勢。受け身でいるというのは、かなりの才覚とエネルギーを要する」
 世の中がある意味、成果主義、利益至上主義に陥っている中で、せめて学校は、目に見えない部分の人間性をしっかりと認め合う場所でありたい。それぞれの人の持ち味だったり、プラスの要素をちゃんと言葉にして褒めたり、感謝したりできる関係を築きたい。
 さて、みなさんにとって、「先生」はうっとうしい存在なのだろうか。将来におけるあこがれの職業と考える人もいるのかな。ということで、学校や先生に関わる本をいくつか紹介しよう。
① 西川つかさ 『ひまわりのかっちゃん』 講談社
 ひらがなも満足に書けなかった「かっちゃん」を変えたのは、小学校5年生の担任の森田先生。「にしかわ、あぎらめるなッ。負げたくないど思ったら、人より何倍もやれ!」運動会で最後まで諦めないで走っていた先生から聞こえたメッセージ。テレビ放送作家ご本人の実話。
② 齋藤孝 『教育力』 岩波新書
 経験を積み技術が上がるほど質がよくなるのが通常の仕事。教育の世界では、若くて未熟であることがむしろプラスに働くことがあるという。つまり、教師もまた日々学び変化することが求められている。教師を目指す人(ベテランの先生も)におすすめ。
③ 内田樹 『街場の教育論』 ミシマ社
 学校や教育に対して無責任に批判する風潮やメディアをばっさりと斬る。教育の本質を探ることは、仕事のあり方や人の生き方に通ずる奥深いテーマ。学校の先生たちが元気になる本を目指したということだが、内田先生の洞察力の鋭さはさすが。



 vol.18 2009年12月号 「大きなキャッチャーミット」

 できなかったことの言い訳や人との比較は抜きにして、みなさんこの一年の成長を自ら振り返ってみませんか。まずは私の場合…。
 今年の夏休み、健康のために朝6時に起きて近くの河川敷を走った。4日目からは、ラジオの基礎英語を聞きながら走った。日曜日は基礎英語がなく適当にチューニングしていたら、私の尊敬する鷲田清一さんの声が聞こえてきてびっくりした。携帯のコマーシャルだったか、タオルを拾ってくれた女の人に会いたくて、明日も走るぞってわくわくしてるランナーがいたけど、そんな気持ちだった。
 その鷲田さんが、内田樹さんの本を引用しながら次のように言っている。「なんだかまるで分からないけれど、凄そうなもの」と「言っていることは整合的なんだけれど、うさんくさいもの」を直感的に識別する能力が大学生には必要だと。つまり、関心があるないに関わらず、多様な思考や表現の冒険に身をさらすべきだと。要するに、世界を受けとめるキャッチャーミットをとにかく大きくしておこうと。(うーん、やっぱり難しい)
 直球や変化球だけでなく、ストライクゾーンを大きく逸(そ)れるボールもある。スタンドに入るボールを追いかけることも、あるいは、他チーム選手のボールを受けることもあるかもしれない。関心のあるなしではなく、どんなボールでも受けとめる覚悟を決めて練習を重ねていけば、玉石を見分ける目が成熟し、どでかい世界を理解することができるのだ。
 今年のもう一つのできごと。2008年10月から2009年3月まで、NHKテレビで「私の1冊 日本の100冊」という番組があった。100人の著名人がそれぞれのお気に入りの1冊を紹介する、たった10分ずつの放送なんだけれど、録画をしながら90人分以上を見ることができた。まだ読んでいない優れた本がたくさんあることに焦りを感じつつも、それぞれの著名人の紹介する本が、その方々の仕事や考え方に直接つながっていることを知って、確かに読書は人生を作り出すんだという、なんか勇気のようなものをいただいた。(今も再放送が流れていて、最近これをまとめた本が出版されている)
 なるほど「キャッチャーミット」とは、いろんな人に出会うこと、自分の行動エリアを広げること、そして本を読むこと、といえるかもしれない。もちろん、これまでの自分の守備範囲を超えたものとして新しいものに出会い、挑戦するということ。このキャッチャーミットが大きくなったら、人間としてのスケールもでっかくなるんだろうな。
 よし、ボールを逸らさないキャッチャーになるべく、体を張って新しい一年に挑むのだ。



 vol.19 2010年2月号 「世界を、こんなふうに見てごらん 」~科学読本のすすめ~

 図書室に行くといつも「こんな本が入りましたよ」と声をかけてもらえる。今回は日高敏隆さんの『世界を、こんなふうに見てごらん 』を紹介してもらった。日高さんは、以前「読書だより」に紹介した『ソロモンの指環』の翻訳者だが、この本は動物行動学という学問を拓いたコンラート・ローレンツ博士のユニークな観察記録を、文章のうまい日高さんが訳した逸品だ。残念なことに日高さんは昨年の11月に亡くなられたが、生物学の魅力を語ったエッセイや講演記録が上記の新刊本に掲載されている。
 日本では他の先進国に比べて、サイエンス系の本や雑誌があまり売れないのだそうだ。たぶん、食わず嫌いの人が多いのではないかと思う。それと、「理系の人は文章が下手だ」とか「本好きの人は文系に向いている」なんていうウワサも真っ赤な嘘だ。(なぜ嘘は赤いんだろうとこだわるあなたはすでに理系思考かも)。
 青少年向けに書かれた(大人にも十分面白い)優れた科学読本はたくさんあり、面白い理系作家に出会えば、たぶんみなさんの進路の幅はぐんと広がるに違いない。そこで、今回はお気に入りの理系作家を紹介しよう。
 まずは、寺田寅彦だ。夏目漱石や正岡子規とも懇意だったという物理学者であり随筆家。金平糖(コンペイトー)にはなぜ角(つの)ができるのかなどについて真面目に研究している。
  中谷宇吉郎は、人工雪を初めてつくった科学者。私は小学校の時に彼の「立春の卵」を読んでファンになり、『雪』や『科学の方法』は難しかったが、段階を追って検証していくプロセスの大切さを知ることになった。
 岡潔は、数学者だが、多くのエッセイを残している。彼に言わせると「数学とは情緒を表現する芸術の一つ」なのだ。『春宵十話』では、教育論、人生論が展開する。
 板倉聖宣は、以前学級文庫として並んでいた『ぼくらはガリレオ』の著者だ。読み出したら止まらない。アルキメデスはお風呂で浮力の原理を発見しあまりのうれしさに裸で町に飛び出したというが、もっと冷静に検証をすすめていたはずで、その緻密な実験方法を紹介する。
 最近では、福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』がベストセラーになったし、竹内薫の『コマ大数学科特別集中講座』や『Googleの入社試験』は数学やパズル好きにはたまらない。
 さらに、科学読本のジャンルからは少し離れるかもしれないが、養老孟司の『バカの壁』や藤原正彦の『国家の品格』、手塚治虫の『ブラック・ジャック』や海堂尊の『チーム・バチスタの栄光』、東野圭吾の『探偵ガリレオ』などなど、理系作家の作品はやっぱり面白い。
 実は、こうしてあげたたくさんの理系の方々に共通する(全員じゃない)ことがある。それは、小さい頃に昆虫採集や動植物と過ごすのがマニアックなほど好きだったらしいこと。大人になって昆虫採集を本業にした人はいないけど、何かに熱中したことがあるという経験がこの人たちの人生の基盤を作り上げたのかもしれない。(そういう私も小学校時代、町内では有名な昆虫採集少年だった。ホント。)
 虫が好きでも嫌いでも気にしなくていい。言いたいのは、理系のトビラはすぐ近くに用意されているということ。ドアのノブを回したら「世界を、こんなふうに見てごらん 」という声が聞こえてくるはず。



 vol.20 2010年3月号 「大切にしたいもの」~卒業、進級、バージョンアップの季節に~
 
 人生にはいくつかの節目がある。卒業式や卒業生の同窓会に出席すると、それぞれの蓄積された努力の厚みや、先輩後輩の強い絆や、期待や信頼に応える誠実なパワーを、感じさせられる。先日の同窓会では、結婚しました、店を持ちました、母校のためにできることがあったら何でも言ってください…、在学中とはまた違った溌剌さに触れ、大きな勇気をもらった。(先生という職業の特権だね)
 振り返ることを嫌う人がいるが、この節目において、自分を支えてくれているものをちゃんと見て、自分の価値観や行動パターンに修正の必要がないかを吟味して、残りの人生のスタート地点にあってやるべきことを決意する、これは絶対に大切にしておいてほしい。人によって節目の捉え方はさまざまだが、ある意味3月は節目の季節でもあり、「振り返り」をお勧めしたい。
 さて、『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著)とその続編が話題になっている。会社の業績や将来性を評価するのではなくて、会社が社員やその家族を大切にしていること、社員が社会のために役立っているという誇りをもっていること、をちゃんと評価している。そして、この本には数値や順位付けではない価値観、評価方法のヒントがたくさん詰まっている。
 現代社会では、学力や人間性を評価しようとする試みが繰り返されていて、学歴や就職先で判断したり、論文や面接でその人の思考や人柄を判断したりする。判断される側からは、なぜ正当な評価を受けられないのかという不満の声も聞かれる。正しい「評価」は大変難しいのだ。
 そこで、「評価」から離れて、「大切にしたいもの」「大切にしていること」の視点で人の魅力や本質的な姿を見いだしてみようというのが、前述の本を読んでの感想であり、新たな提案である。
 たとえば、あなたが大切にしていることは何か。
 ・長い目で見て人の役に立つことの信念に立って、勉強や仕事に励むこと
 ・損得を基準にせず、今求められていることをすすんで実行すること
 ・理想を語ることよりも、毎日の努力に重きをおいて継続して取り組むこと
 ・人に喜んでもらうために、まだやれることがあると考えて工夫すること
 ・そして、そのような自分に対して誇りをもっていること
 「振り返り」とは、このような「大切にしたいもの」を点検することといえるかもしれない。そして、そんな人は社会でますます必要とされ、みんなから最も大切にされるに違いない。