2022年3月7日月曜日

『何のために「学ぶ」のか』

中学生からの大学講義1 から
「「賢くある」ということ」 鷲田清一

「結局私たちは「市民」ではなく「顧客」になってしまった。私たちは、自分たちの安心と安全のためにプロを育て「委託」するという道を開拓してきた。しかしその制度の中で暮らすうちに、自分が持つ技や能力を磨くことを忘れてしまった。自分で物事を決めて担うことができる市民ではなくなり、ただのサービスの顧客に成り下がったのだ。」(p.190)

 税金を払っているのだから、高い学費を払っているのに、といった台詞にはうんざりする。見返りを当たり前と考え、少しの損も許さないと目を光らせている印象を受ける。そうではなくて、自分も困っている、どうすればいいか一緒に考えてほしいと言えばいい。コミュニティーの中では、自分はたいてい顧客ではなくて、メンバーであるはずなのだ。苦労をともにしたメンバーであれば、親しみや誇りが芽生え、恩返しや恩送りをしたいという気持ちを連れてきてくれるはず。技や能力を磨くこと、敢えて苦労を引き受けることを思い出そう。そして「一生学び」であることを楽しみたいと思う。

2022年3月6日日曜日

『知の体力』

永田和宏

「どんな大学に入学しても、どんな賞を獲得しても、心から喜んでくれる人がいなければなんの意味も持たない。ほんのちょっとした自分の行為を心から褒めてくれる存在があるとき、自分がそれまでの自分とは違った輝きに包まれているのを感じることができる。・・・ 愛する人を失ったとき、それが痛切な痛みとして堪(こた)えるのは、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのでもある。」(p.219~p.220)

 以前、とある機関誌に書いた原稿。「・・・荒井由実の歌に「人ごみに流されて変わってゆく私を、あなたはときどき遠くでしかって、あなたは私の青春そのもの」とあります。正に、その人がいるから今の私の存在価値があるというのは、何ものにも代えがたい内発的動機といえるでしょう。高校や大学時代に、是非「青春そのもの」といえる人を見つけてくださいね。青春とは「無茶ができること、そして、応援してくれる仲間がいること」と読んだことがありますが、「無茶」も「仲間」も人から言われてやるもの、つくるものではないですよね。・・・」 愛する人がいるということは、自分という器の中に宝物をもっているということ。器そのものにではなく、宝物にこそ価値があり意味があるということに気づくことなんだろう。

2022年3月5日土曜日

『手づくりのアジール』

青木真兵

「見えるものだけを見る。わかることだけをわかる。現代はできる限り速いスピードで、これらを行うことが求められています。人間社会でうまくやっていくための能力はほとほどに、見えないものを見ようとすることが重要なのです。このような能力を帚木蓬生氏は「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼びます。」(p.161~p.162)

 帚木さんは、ネガティブ・ケイパビリティを「宙吊り状態を支える力」と表現する。拙速に答えを出さずに宙ぶらりんでいることに耐えるという感じか。たいていのことはすぐに解決しないものと知りながら、白黒をつけたがる現代社会に順応している私がいる。一方で、「手づくり」好きの私は、ものをつくることに熱中し時間を忘れてよく怒られた。たくさんの失敗や修正を繰り返すその作業は、ある意味、宙ぶらりんかもしれない。耐えてる意識はないけれど。

2022年3月4日金曜日

『わからないまま考える』

山内史朗

「「こんなことをして何になるんだ」と思いながら、意味や目的のない作業に人間は従事する。・・・ 人生は繰り返せないから、と躊躇しているうちに、失敗を試してみることのできる時間も過ぎてしまって、失敗をするチャンスさえ失ってしまう。・・・ 他の道もあり得たが、私はこの道を自分の人生として選んだ、ということだ。」(p.39~p.46)

 正解を求め、失敗を恐れ、人との比較や過去の自分との比較をすることが習慣化してしまっている。そういえば、10年前に始めときゃよかったと思うかもしれないと、40歳になってスノーボードを始めたりしてたなあ。「習慣化」を逆手にとったわけだ。迷いや後悔なんて当たり前と考えよう。次の10年後の自分に、なんであのときやっとかへんかったんと言われないように、また新しいことを始めようか。

2022年3月3日木曜日

『生物はなぜ死ぬのか』

小林武彦

「生きているものは裏を返せば「死ぬもの」です。生と死、変化と選択の繰り返しの結果として、ヒトもこの地球に登場することができました。死があるおかげで進化し、存在しているのです。」(p.216)

 ターンオーバー(生まれかわり)こそが奇跡の星地球の魅力であると小林さんはいう。そんな風にいわれても、身近な人の死や自身の死は簡単に受け入れられない、と思ってしまう。感情豊かに発達してしまった脳のおかげで、悲しみと怖れをもち続けなければならないのだが、核兵器の緊張が迫る中、いまは、多様ないのちを育むこの地球の将来を守りたいと願う。

2022年3月2日水曜日

『仕事のお守り』

ミシマ社編

「mediaは、mediumの複数形で、原義は「媒介」ですよね。あくまで「媒介」です。どれだけやわらかに受け止め、気持ちよく届ける(伝える)ことができるか、です。・・・ 「自分のことを、ただ時間を通過させているだけの、流動的な存在なのだとお考えになればいいと思います。他人の色を受け入れて、初めて自分という価値があらわれてくるのです。(村上春樹)」(p.126~p.130)

 後半のことばは「思っていることを伝えられない」という人の悩みに、村上春樹さんが答えたものだ。教会のステンドグラスは、ガラスを通過したその光に美しさを感じとることができる。本当に伝えたいと思うものがあるときは、「自分」というものがその障害になってはいけない。日常をちゃんと受け止め、穏やかに振る舞えば、自分でも気づかない美しい光をともなって人に伝わると信じよう。

2022年3月1日火曜日

『人と数学のあいだ』

加藤 文元

「「それは、僕自身がそうだったから。自分が本を読んでいる時に、この作家は絶対に苦しい時間、寂しい時間、一人っきりの時間を過ごしたはずだという前提で読むんですよ。(吉田修一)」・・・ 孤独な時間が必要なのではないか。・・・ その人の出す「音色」に共鳴してくれる他者が必要だということです。」(p.92~p.104)

 人が人をリスペクトできるのは、相手が孤独だったり苦しかったりしたであろう時間を感じとれたときではないだろうか。安野光雅の絵画展に行ってきた。一枚の絵にかけた時間だけでなく、人生をかけて積み上げてこられた心のこもった「時間」というものを、絵の中に感じる。吹奏楽部の演奏会や野球部の試合にでかけて、いつも心が熱くなるのは、彼らのプレーの背景に、苦労や悩みとの闘いの時間を感じるからだ。そう、人の孤独な時間は「共鳴」を連れてくる。小さな音色が、共鳴によって、人の心を揺さぶってくるのだ。