2022年2月15日火曜日

『21世紀の楕円幻想論』

平川克美

「真円的な思考は、楕円がもともと持っていたもう一つの焦点を隠蔽し、思考の外に追い出してしまいます。・・・ 解決がつかない複雑な問題を前にしたときに、とりあえずわたしたちがとり得る態度は、「泣く」「ためらう」「逡巡する」・・・ そして「やむを得ず引き受ける」こと以外にはないように思います。(p.208~p.217)

 テレビの報道に違和感を感じることが増えてきた。複雑な事件や事態のアウトサイドでその場だけのコメント、そして、それを聞いているだけの自分。楕円の異なる焦点を2つとも受けとめるというのは、自分の問題として関わり、自分の中で矛盾や葛藤を引き受けるということなのだろう。安全地帯で眺めているばかりでなく、同じような状況にある人に対して、自分ができることを考え、迷いながら行動するということ。自信がない、長続きしない無力感やうしろめたさのようなものを引きずりながらも。真円のようにスマートであろうとする自分よりも魅力的かもしれない。

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