2022年2月3日木曜日

『うしろめたさの人類学』

松村圭一郎

「いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。ぼくらのなかの「うしろめたさ」を起動しやすい状態にすること。・・・それまで覆い隠されていた不均衡を目のあたりにすると、ぼくらのなかで、なにかが変わる。その変化が世界を動かしていく。」(p.174~p.175)

 私もまた、困っている人を見て見ぬ振りをし、時間がないから継続できないからみんなもやってないからと言い訳をし、国や社会が対策すべき事柄だからと目をつむる。人に迷惑をかけず人と関わることの煩わしさを避けることがスマートな生き方と思ってこなかっただろうか。でも、躓きや摩擦や恥ずかしさを乗り越えないと心は通じ合わない。たぶんスマートな先生やスマートな親は存在しない。伝えたいことは伝わらず、それでも伝え続けると、思い以上のことが伝わったりする。伝えるという場面においても、人の傷みや困窮に気づいて、私に何ができるだろうと考えるところから始まるのだと思う。

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